妙興報恩禅寺概説
 妙興寺は俗に「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と称されている臨済宗妙心寺派にぞくする禅宗の巨
刹である。
 創建は後光厳天皇の貞治四年(1365)尾張中島城主中島蔵人の第二子滅宗により勅願 の道場と
して建立され、大応国師南浦紹明禅師を勧請開山とされた。 この滅宗宗興大和尚の在世中は衆僧常
在員二百員と境内地は三十三町六反余坪寺領は八百余町 り、名実ともに「國中無双禪刹」の勅額の
通り法幢は隆昌をきわめた。
 現在の妙興寺は仏像・書・画・古文書等が多く、それらは文化財として指定を受けている。また禅道
修業の専門道場として多くの雲水を養成し、一般の人々のため坐禅会を行い、東海地方におけ る精神
文化の一拠点となっている。
仏殿●仏殿 道場●道場
法堂●法堂 庭●庭
 
妙興寺蕎麦の由来
 慶長年間に妙興寺に在籍していた恵順という僧侶が、15品に及ぶ蕎麦の食法を、『蕎麦覚書』として
記録し、その記録日を慶長13年(1608年)6月21日と記していた。先代はこの記録から麺汁の仕立
方、蕎麦の扱い方を研究し、現代人の味覚を考慮して、蕎麦よりもそうめんに合うもの、或はうどんに合
うものと整理して今日の長浦の品書きとした。とりわけ禅林の香りの強い一品を、長嶋山妙興寺の寺名
を付けて妙興寺蕎麦と名付けたのです。そして町方蕎麦とは一風異なる仕立ての蕎麦を作る「寺方蕎
麦」を看板としたのです。
 この文書は不運にも昭和19年4月10日の空襲で焼失したが、現店主は先代の寺方伝来の蕎麦作
法を忠実に引継ぎ、さらに研究を進めて、蕎麦のみならず麺類そのものが禅林から発祥した事実を『つ
るつる物語・日本麺類誕生記』の一冊で明かにもしたのです
 ■所在地:愛知県一宮市大和町妙興寺2438